説明
夭折した紺野の明朗さ、塚原の快活なる音の運び、
クラシックの伝統を受け継いだ原、名曲発見(西耕一)
紺野陽吉(大正2年~昭和20年)は1942年出征前に面識もなかった清瀬保二を訪ね3曲の作品の楽譜を預けていった。満州で戦病死してしまった紺野陽吉の残された作品はこの3作品のみとなります。さらにこのアルバムに収録されている弦楽三重奏曲は未完で、第3楽章の未完部分は清瀬の弟子の安藤久義によって補作されたものもありますが、このアルバムに納められている演奏は未完のヴァージョンです(完成版はMTWD99058「紺野陽吉の世界」に収録)。
塚原哲夫(大正10年~昭和53年)は池内友次郎の薦めで1947年東京音楽学校(現東京藝術大学)に入学し、信時潔に師事。戦後日本で初めてシンフォニック・ジャズ・オーケストラを結成した。その後アメリカでコープランドに作曲を、ラインスドルフに指揮法を学ぶ。1973年には今も続くジュニア・フィルハーモニック・オーケストラを結成し、指導にあたった。この作品は5分にも満たない小品ですが、古典和声楽、対位法などを基にしながらも不協和音で終わるユニークな作品。
原 博(昭和8年~平成14年)は生涯に2曲の弦楽三重奏曲を作曲した。第1番は1963年にニース、パリで作曲された。「ディヴェルティメント(喜遊曲)」の副題の由来は定かではないが、娯楽的な感じはまったくなく、音響的には当時のモダニズムの影響を感じさせる。第2番は晩年の作で純然たるト長調で書かれている。明るい雰囲気のなかにも書法のうえでは求道的なまでの厳しさに貫かれている。